2014.08.20 Wednesday
スッタニパータ
「ブッダのことば スッタニパータ」 中村元訳 岩波文庫
本を一冊きりしか持ったらいかんよとなったら
私は、何の迷いもなくこの本を選ぶと思います。
表紙の言葉
数多い仏教書のうちで最も古い聖典。
後世の仏典に見られる煩瑣な教理は
少しもなく、人間として正しく生きる
道が対話の中で具体的に語られる。
初訳より26年、訳文はいっそう読み易
くなり、積年の研究成果が訳注に盛ら
れ、読解の助となるとともに、他仏典
との関連、さらには比較文化論にも筆
が及び興味は尽きない。
ブッダがこの世を去る前に弟子の一人が
「あなたの教えを文字に残しても良いですか?」
と、問うたそうな。
「口語でなら良い。」
と、ブッダはおっしゃったらしく
弟子達は、当時のマガタ語でその教えの内容を
簡潔なかたちでまとめ、あるいは韻文の詩の形で
表現したそうな。
それが、このスッタニパータやダンマパダとして
後世に伝えられていったらしい。
それが、ずっと後の時代になって
いわゆる「お経」として
バーリ語やサンスクリット語に翻訳され
漢訳されたものが中国から日本に渡って来たらしい。
ブツダが「口語でなら良い。」と言った理由というのは
教えが、後々も教条的にならないように
又、言葉だけではなく体感や経験をとうして
一人一人の身になることを求めたからではないだろうか。
もし文語で書かれていたとしたら
当時の社会状況においては
バラモンやクシャトリアの知識層にしか伝播しなかっただろうし
その教えというのは、信仰・学問・思想を超えた
言葉を超えるたった一つの理法を説いているものだからではなかったろうか。
この「ブッダのことば スッタニパータ」は
バーリ語の訳注文が丹念に添えられていて
訳者のその仕事にかける情熱が垣間みられますが
後世、大乗仏教としてとても難解な学問・思想に変遷して行く
ブッダの教えを、対話として分かりやすく伝えようとする
その仕事ぶりに感心させられもします。
とにかく・・・
読んでて面白い!
この本に出会うまで、にわか仕込みの知識で
十二支縁起やアビダルマについてのグチャグチャで
独善的な理解を頭の中で振り回していたけれど
実は、そっかそっかこんなふうにス〜ッと入って来る言葉が
ブッダが本当に伝えたかったことなのかもしれないなぁ。
と、思えるようになった。
けど、勿論まだわからない事だらけではありますが・・・。
今生きてるこの世だけを見ていては、きっと何も見えない。
自分の脳に振り回されて生きてるだけでは、きっと何も見えない。
自分というものそのものが、何よりも、あるがままを見えなくする。
涅槃に至るには、今の自分はあまりにも執着が多すぎて到底及ばぬが
生きるからには、何としてもその事を一番にしていかねばならぬ。
てな、ことを読むたびに心に思うのですが
自分はどんだけ煩悩に塗れた生き物やねん!と嘆きつつも
生きとし生きるものの幸せを願うことだけは忘れまいと誓うのでありました。
んで、今日もこの一言
今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。
今日、利益をめざさない友は、得難い。
自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。
犀の角のようにただ独り歩め。
スッタニパータ 七十五より
スッタニパータは、上記の本を買って読むのをお勧めします。
税抜き1000円です。
↓ネットではこちらで全文読めます。
宝彩有菜のスッタニパータ
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
歳とるとなぁ、こういうのが身に染みるんよ。